江戸時代の庶民は、毎日どのようなものを食べていたのでしょうか。
「江戸時代の食事」と聞くと、ご飯と味噌汁、漬物といった質素な食卓を想像する人も多いかもしれません。
確かに、現代のように豊富な食材を使った料理を毎日食べていたわけではありません。しかし、江戸の町ではそば、寿司、天ぷら、うなぎなどの外食文化が発達し、豆腐や野菜、魚介類などを使ったさまざまな料理も食べられていました。
一方、江戸の町人と農村の庶民では食生活が異なり、同じ江戸時代でも時期や地域によって食べられていたものには違いがあります。
この記事では、江戸時代の庶民の普段の食事、人気料理、屋台・外食、おやつ、肉や魚、野菜、調味料などの食文化をまとめて解説します。
「江戸時代の庶民は何を食べていたのか」を知りたい人は、ぜひ参考にしてください。
- 江戸時代の庶民は何を食べていた?
- 江戸時代の庶民に人気だった食べ物・料理15選
- 「江戸の四大名物」と呼ばれる料理も
- 江戸時代の朝食・昼食・夕食はどんなものだった?
- 江戸の庶民を支えた屋台・外食文化
- 江戸時代の庶民はどんなお菓子・甘いものを食べていた?
- 江戸時代の庶民はどんな魚や野菜を食べていた?
- 江戸時代の庶民が食べていた野菜
- 豆腐・納豆・味噌などの大豆食品も庶民の重要な食べ物だった
- 江戸時代の料理はどんな味?庶民が使っていた調味料
- 江戸時代の庶民は肉を食べなかった?
- 江戸の町人と農村の庶民では食生活が違った
- 江戸時代の庶民の食費はどのくらい?食べ物の値段
- 現代とはこんなに違う!江戸時代の庶民の食生活
- 江戸時代から現代まで残っている食文化
- まとめ|江戸時代の庶民の食事は質素な日常食と豊かな食文化が共存していた
江戸時代の庶民は何を食べていた?
江戸時代の庶民の食事は、基本的には米などの主食を中心に、味噌汁、漬物、野菜、豆腐などを組み合わせた比較的シンプルなものでした。
ただし、江戸時代は1603年から1868年まで約260年間続いています。そのため、江戸時代初期と後期では食文化が異なり、暮らしている地域や経済状況によっても食べられるものには大きな違いがありました。
特に注意したいのが、「江戸の町に暮らしていた庶民」と「農村などで暮らしていた庶民」の食生活を同じものとして考えないことです。
江戸の町では白米を食べる庶民が増えていった
江戸では人口の増加とともに大量の米や食料が集められ、庶民にも白米を食べる習慣が広がっていきました。
現代では白米はごく一般的な食べ物ですが、それ以前は精米された白米を日常的に食べられる人は限られていました。
ところが江戸では白米を多く食べる食生活が広がったことで、ビタミンB1不足による脚気が問題になります。
脚気は江戸で多く見られたことから「江戸わずらい」とも呼ばれ、江戸を離れて食生活が変わると症状が改善することもあったとされています。
つまり、江戸の庶民の食生活は単純に「質素で白米も食べられなかった」というわけではありません。都市である江戸ならではの食事情が存在していたのです。
農村では米だけを食べていたわけではない
一方、農村の庶民が毎日のように白米をたっぷり食べていたとは限りません。
米を生産している農家であっても、収穫した米のすべてを自分たちで食べられるわけではなく、地域によっては麦や雑穀、芋、野菜などを組み合わせて主食としていました。
そのため、「江戸時代の庶民の主食=白米」と一括りにするのは正確ではありません。
江戸のような都市部と農村部では、同じ時代でも食生活にかなりの違いがあったと考えておく必要があります。
ご飯・味噌汁・漬物などが日常の食事の基本
地域や家庭による違いはありますが、庶民の日常食では主食の占める割合が大きく、副食には味噌汁や漬物、野菜などが食べられていました。
豆腐をはじめとする大豆食品や、魚介類、海藻、乾物なども重要な食材です。
特に保存技術が限られていた時代には、漬物や干物など保存性を高めた食品が日々の食生活を支えていました。
現代のように冷蔵庫がなくても、塩漬け、乾燥、発酵などの方法を利用して食材を保存していたのです。
江戸時代中頃から1日3食の習慣が広がった
現代では朝・昼・夕の1日3食が一般的ですが、日本では古くからずっと3食だったわけではありません。
それ以前は朝食と夕食を中心とした1日2食の生活も一般的でしたが、江戸時代中頃になると1日3食の習慣が広がっていったとされています。
都市の発展や人々の生活時間の変化などが食事の回数にも影響したと考えられています。
この変化によって昼食の需要も生まれ、江戸の町では外で働く人が手軽に食事を取れるそば屋や屋台などの外食文化が発達していきました。
江戸の庶民は意外と豊かな食文化を楽しんでいた
日常の食卓そのものはシンプルでも、江戸の町にはさまざまな食べ物が存在していました。
江戸時代後期になると、そば、にぎり寿司、天ぷらなどを屋台で食べる文化が発達します。
豆腐や大根を使った料理、魚介類、団子などの甘味もあり、庶民が楽しめる食べ物の種類は決して少なくありませんでした。
そのため、江戸時代の食生活を考えるときは、
「普段の家庭料理は比較的シンプル」
「江戸では屋台や外食文化が大きく発達した」
という2つの側面を見ることが重要です。
現在の寿司、そば、天ぷらなどにつながる食文化が庶民の間で広がっていったことも、江戸時代の大きな特徴といえるでしょう。
江戸時代の庶民に人気だった食べ物・料理15選
江戸時代、特に人口が集中した江戸の町では外食文化が大きく発達しました。
現在でも日本料理の代表として知られる「そば」「寿司」「天ぷら」「うなぎ」なども、江戸の食文化と深い関係があります。
また、庶民の日常生活では豆腐、大根、漬物など身近な食材も重要でした。
ここでは、江戸時代の庶民に親しまれていた代表的な食べ物や料理を紹介します。

1.そば
江戸の庶民を代表する食べ物の一つが「そば」です。
そばそのものは江戸時代より前から食べられていましたが、現在のように細長い麺にした「そば切り」が江戸の町に広まり、庶民の身近な食べ物になっていきました。
江戸には店舗を構えるそば屋だけでなく、屋台でそばを販売する店も登場します。
江戸時代中期には、温かいそばを販売する「夜鷹そば」などの屋台も現れました。
さらに江戸時代後期になると、
・盛そば
・花巻そば
・天ぷらそば
・あられそば
・しっぽくそば
・鴨南蛮
など、さまざまなメニューがそば屋で提供されていたとされています。
現在の立ち食いそばやそば屋につながる食文化が、すでに江戸時代に発達していたのです。
江戸時代にそばがこれほど広まった背景については、別の記事で詳しく紹介しています。
関連記事:江戸時代はなぜそばが人気だった?うどんではなく蕎麦が江戸っ子に愛された理由
2.にぎり寿司
現在、日本を代表する料理となっている「にぎり寿司」が広まったのも江戸時代です。
寿司自体は江戸時代よりはるか以前から存在していましたが、現在のにぎり寿司につながる形式が登場したのは江戸時代後期とされています。
当時の江戸では、にぎり寿司は屋台で手軽に食べられる食べ物として庶民に親しまれました。
現在の寿司というと高級料理のイメージもありますが、江戸のにぎり寿司には「ファストフード」のような一面があったのです。
ネタには、
・コハダ
・エビ
・白魚
・マグロ
・アナゴ
・卵焼き
などが使われていました。
冷蔵技術がないため、魚をそのままのせるだけではありません。
酢で締める、煮る、蒸す、醤油に漬けるといった下ごしらえを施すことで、保存性を高めながらおいしく食べられるよう工夫されていました。
また、江戸時代のにぎり寿司は現在よりも大きかったとされています。
軽食として数貫食べるというより、ご飯も含めてしっかりと小腹を満たす食べ物だったことが分かります。
3.天ぷら
天ぷらも江戸を代表する屋台料理です。
油を大量に使用する料理はもともと庶民が気軽に作れるものではありませんでしたが、江戸時代に菜種油の生産が増えると、揚げ物も次第に広がっていきます。
江戸では魚介類などに衣をつけ、油で揚げた天ぷらが屋台で販売されました。
当時は串に刺した天ぷらを立ったまま食べるスタイルもあり、大根おろしなどと一緒に食べられていたとされています。
江戸時代後半になると調理技術や食材にもこだわるようになり、天ぷらは屋台料理だけではなく、より洗練された料理へと発展していきました。
現代では高級天ぷら店もありますが、そのルーツをたどると庶民が楽しんだ江戸の屋台文化につながっています。
4.うなぎの蒲焼き
うなぎも江戸の人々に親しまれた食べ物です。
江戸周辺の川や水辺ではうなぎが獲れ、蒲焼きとして販売されるようになりました。
江戸付近で獲れたうなぎは「江戸前」と呼ばれて珍重され、蒲焼き屋も登場します。
現在の関東風の蒲焼きでは、うなぎを開いてから焼き、蒸して再びタレをつけて焼く方法が知られています。
醤油などの調味料が江戸で普及していったことも、蒲焼きの味を発展させる要因となりました。
現在でも「土用の丑の日」といえばうなぎを思い浮かべますが、江戸時代にはすでに蒲焼きが名物料理として知られていました。
5.豆腐
屋台料理だけでなく、普段の食卓で重要だった食材が豆腐です。
豆腐は比較的安価で、さまざまな料理に使えることから江戸時代には庶民にも広く普及しました。
その人気を象徴するのが、1782年に出版された料理本『豆腐百珍』です。
その名の通り豆腐を使ったさまざまな料理が掲載され、評判を呼んだことで続編まで出版されました。
豆腐を焼く、煮る、揚げる、味付けを変えるなど、一つの食材から多彩な料理を作っていたことが分かります。
現代でも冷奴、湯豆腐、揚げ出し豆腐など数多くの豆腐料理がありますが、江戸時代にも豆腐は庶民の身近な食材でした。
『豆腐百珍』に実際にどのような料理が掲載されていたのか気になる人は、現代語訳や再現レシピを収録した関連書籍で読んでみるのも面白いでしょう。
6.田楽
豆腐などに味噌を塗って焼く「田楽」も江戸時代に親しまれた料理です。
特に豆腐田楽は比較的シンプルな料理でありながら、味噌の風味を楽しめる食べ物でした。
田楽には豆腐だけでなく、こんにゃくや野菜などさまざまな食材を使うことができます。
江戸時代には味噌が調味料として広く利用されるようになったこともあり、味噌を使った料理は庶民の食生活を支える存在になっていきました。
7.大根料理
江戸の食文化を語るうえで忘れてはいけない野菜が大根です。
江戸っ子が好んだものを表す言葉として、
「白米・豆腐・大根」
を指す「三白」という言葉も伝えられています。
大根は煮物、汁物、漬物、大根おろしなど幅広い料理に利用できるうえ、保存食にも加工できる便利な食材でした。
現在でも和食で大根が頻繁に使われていますが、その身近さは江戸時代の食生活にも見ることができます。
8.漬物
冷蔵庫のない江戸時代には、食材を長持ちさせるための保存技術が非常に重要でした。
その代表的な食品の一つが漬物です。
大根などの野菜を塩や糠などで漬けることで保存性を高め、日々のおかずとして食べていました。
興味深いのは、都市部では漬物を家庭で作るだけでなく「買う」という文化も発達していたことです。
江戸では漬物屋が存在し、都市生活者が店から漬物を購入することも一般的になっていきました。
江戸中期には、現在の東京名物として知られる「べったら漬け」につながる漬物も登場しています。
9.魚料理
江戸湾や周辺の河川ではさまざまな魚介類が獲れたため、魚は江戸の食文化を支える重要な食材でした。
コハダ、アナゴ、エビ、白魚、アジなど、現在の江戸前寿司でも知られる魚介類が利用されています。
魚は寿司だけでなく、
・焼く
・煮る
・干す
・酢で締める
・醤油に漬ける
などさまざまな方法で食べられました。
冷蔵設備がない時代だからこそ、干物や塩漬けなど保存性を高める工夫も重要だったのです。
10.深川めし
江戸の庶民料理として知られているのが「深川めし」です。
深川周辺ではアサリなどの貝類が豊富に獲れました。
そこで漁師たちは、獲れた貝を味噌などで煮て、ご飯と一緒に食べていたとされています。
手早く食べられ、身近な食材を利用できることから、働く人々に適した料理でもありました。
現在では東京を代表する郷土料理の一つとして受け継がれています。
11.茶漬け
ご飯に茶や湯をかけて食べる茶漬けも、手軽に食べられる料理です。
漬物や海苔など身近なものを添えれば、簡単に一食を済ませることができます。
豪華な料理というよりも、短時間で食べられることが大きな魅力でした。
江戸の町では外食文化が発達する一方、このような簡単な食事も庶民の日常を支えていました。
12.いなり寿司
油揚げの中にご飯を詰めたいなり寿司も、江戸時代には庶民に親しまれるようになります。
江戸時代の文献には、屋台でいなり寿司が販売されている様子も描かれています。
比較的安く、手軽に食べられることから人気を集めました。
現代のコンビニやスーパーでも定番商品となっているいなり寿司ですが、その「安くて手軽に食べられる」という特徴は江戸時代から続いていると考えることができます。
13.納豆
大豆を利用した食品として、豆腐とともに現在まで食べ続けられているのが納豆です。
納豆そのものの歴史には諸説あり、江戸時代に初めて誕生した食品ではありません。
しかし江戸では納豆売りが町を歩いて販売するなど、庶民にとって身近な食品になっていきました。
ご飯と組み合わせやすく、特別な調理をしなくても食べられる納豆は、日常の食事にも取り入れやすい食品だったと考えられます。
14.団子
江戸時代の庶民は食事だけでなく、甘味や間食も楽しんでいました。
その代表格の一つが団子です。
米粉などを使って作る団子は、茶店や行楽地などでも食べられました。
江戸時代には寺社参詣や花見などの行楽も盛んになり、外出先で食べる団子や餅なども楽しみの一つになります。
現代でも「花より団子」という言葉があるように、景色や行楽と食べ物を一緒に楽しむ文化は江戸時代にも見られました。
江戸時代の料理や食文化をさらに詳しく知りたい人は、当時の料理を再現したレシピ本や江戸の食文化を扱った書籍を読んでみるのもおすすめです。
文章だけでは分かりにくい料理も、写真や再現レシピを見ることで当時の食卓をより具体的にイメージできます。
15.ところてん
ところてんも庶民が楽しんだ身近な食べ物の一つです。
天草などの海藻を原料として作られ、特に暑い季節には涼を感じられる食べ物として親しまれました。
現在でも酢醤油や黒蜜など地域によって食べ方が異なりますが、江戸時代にもところてんを売り歩く商売が存在しました。
冷たい飲み物やアイスクリームが簡単に手に入らなかった時代に、こうした涼しげな食べ物は夏の楽しみの一つだったのでしょう。
「江戸の四大名物」と呼ばれる料理も
江戸の食文化を代表する料理として、特に有名なのが、
そば・寿司・天ぷら・うなぎ
です。
これらは江戸の都市化や外食産業の発達とともに普及し、現在の東京、さらには日本を代表する料理へと発展していきました。
江戸には地方から単身で暮らす男性や職人なども多く、家庭で毎回食事を作る人ばかりではありませんでした。
そうした大都市ならではの生活環境も、屋台や飲食店が発達する背景の一つになりました。
「江戸時代の庶民の食事=質素な和食」だけではありません。
家庭では比較的シンプルな食事をしながら、町ではそばや寿司、天ぷらなどを手軽に食べる。
こうした日常食と外食の両方を見ることで、江戸時代の庶民の食生活がより具体的に見えてきます。
江戸時代の朝食・昼食・夕食はどんなものだった?
江戸時代の庶民が食べていた料理を見てきましたが、実際には朝・昼・夕にどのような食事をしていたのでしょうか。
現代の食卓では、主食に加えて肉や魚を使った主菜、野菜を使った副菜などを組み合わせることも珍しくありません。
一方、江戸時代の庶民の日常食は、現在と比べるとかなりシンプルでした。
ご飯などの主食を中心に、味噌汁、漬物、野菜、豆腐、魚などを組み合わせるのが基本です。
もちろん、暮らしている地域や家の経済状況、職業、季節などによって献立は異なります。
ここでは特に江戸の町で暮らす庶民を中心に、当時の1日の食生活を見ていきましょう。

江戸時代は1日2食から3食へ変化していった
現在では「朝食・昼食・夕食」の1日3食が当たり前になっています。
しかし、日本人が古くからずっと1日3食だったわけではありません。
江戸時代以前には、朝と夕方を中心に1日2食で生活する習慣も一般的でした。
その後、江戸時代中頃になると1日3食の習慣が広がっていったとされています。
つまり、「江戸時代の庶民は全員1日3食だった」と考えるのではなく、長い江戸時代の中で食事の回数そのものも変化していったと考えた方がよいでしょう。
3食化が進んだ背景には、人々の生活時間の変化や都市の発展など、さまざまな要因が関係したと考えられています。
江戸のような大都市では職人や商人など多くの人が働いていました。
昼にも食事を取るようになれば、当然ながら「仕事の合間に短時間で食べられるもの」の需要も増えます。
こうした生活の変化は、そばなどの外食や屋台文化が発達する背景の一つにもなりました。
朝食|ご飯・味噌汁・漬物などのシンプルな食事
江戸の庶民の朝食として考えられる基本的な組み合わせは、
ご飯+味噌汁+漬物
といったシンプルなものです。
現代のように朝から何種類ものおかずが並ぶ家庭ばかりではありません。
味噌汁には季節の野菜などを入れることができ、味噌から大豆由来の栄養も取ることができます。
漬物もご飯のおかずになるだけでなく、野菜を長期間保存するための重要な方法でした。
さらに家庭によっては、豆腐や納豆、海苔などを食べることもありました。
江戸の町では白米を多く食べるようになったため、おかずの種類が少なくても主食から多くのエネルギーを取る食生活になりやすかったと考えられます。
朝にご飯を炊いて1日分を用意することもあった
現代では炊飯器のスイッチを押せば簡単にご飯を炊くことができますが、江戸時代には当然そのような家電はありません。
薪や炭などの燃料を使って、かまどで米を炊く必要があります。
そのため、食事のたびに一から火を起こして米を炊くのは手間も燃料もかかります。
家庭によって違いはありますが、朝にその日に食べるご飯をまとめて炊き、昼や夕方にも食べるという方法が取られることがありました。
朝は炊きたてのご飯を食べ、時間が経ったご飯は別の方法で食べる。
こうした調理環境の違いも、現代と江戸時代の食生活を比較するときの重要なポイントです。
昼食|仕事の合間に手軽に食べられるものも人気
1日3食が定着していくと、昼食も庶民の生活の一部になっていきます。
自宅で食事を取れる人であれば、朝に用意したご飯と残っているおかずなどを食べることができます。
一方、江戸の町には自宅の外で働く職人や商人なども大勢いました。
そこで便利だったのが、町中に存在する飲食店や屋台です。
そばなどは短時間で食べられるため、働く人にとって利用しやすい食事でした。
現在でも仕事中の昼休みに、そば屋や立ち食いそば店で短時間に昼食を済ませる人がいます。
食べられている料理や店の形は変わっていても、「仕事の途中に手軽な外食を利用する」という生活スタイルには、江戸の町と現代で通じる部分があります。
昼食は必ず外食していたわけではない
江戸の屋台文化は非常に有名なため、「江戸の庶民は昼になると屋台でそばや寿司を食べていた」というイメージを持ってしまうかもしれません。
しかし、当然ながら全員が毎日外食していたわけではありません。
自宅で用意した食事を食べる人もいれば、仕事や収入によって食事内容も変わります。
そば、寿司、天ぷらなどの屋台料理は江戸の食文化を象徴する存在ですが、それだけを見て当時の日常食全体を判断しないことが大切です。
華やかな外食文化と、比較的質素な家庭の食卓が同じ都市の中に共存していました。
夕食|残ったご飯とおかずを組み合わせる
夕食も、ご飯に汁物や漬物、野菜などを組み合わせる比較的シンプルな食事が基本となります。
魚が手に入れば、焼き魚や煮魚などが加わることもあったでしょう。
豆腐や大根など身近な食材を使った煮物も、おかずになります。
朝に炊いたご飯が残っていれば、それを夕食にも利用します。
炊いてから時間が経ったご飯は、茶漬けや雑炊などにして食べることもできます。
食べ物を簡単に捨てるのではなく、残ったものを別の料理に利用する知恵も重要でした。
毎日魚や豪華なおかずを食べていたわけではない
江戸は海に近く、魚介類が豊富な都市でした。
魚売りが町を回るなど、都市生活者が魚を購入できる仕組みも発達していきます。
しかし、魚が流通していたからといって、すべての庶民が毎日好きな魚を食べられたわけではありません。
食生活は当然ながら収入によっても左右されます。
比較的余裕のある家庭と貧しい家庭では、おかずの種類や量にも違いがあったでしょう。
そのため、江戸時代の庶民の食卓を再現するときに、毎食何種類もの料理や魚を並べてしまうと、一般的な日常食とは離れてしまう可能性があります。
江戸の町と農村では1日の献立も違う
ここまで紹介した食事は、主に江戸の町で暮らす庶民をイメージしたものです。
農村部では事情が異なります。
農村では地域で収穫できる作物が食生活に大きく影響しました。
米だけではなく、麦、粟、稗などの雑穀や芋類を主食に取り入れたり、米に他の穀物を混ぜたりする地域もあります。
山間部と海沿いでも、手に入りやすい食材は違います。
海に近ければ魚介類を利用しやすい一方、内陸では乾物や塩蔵品などが重要になることもあります。
江戸時代の食生活は「江戸」という大都市の食文化だけで説明することはできないのです。
現代よりも主食の存在感が大きかった
江戸時代の食事を現代と比較したとき、大きな違いの一つが主食の存在感です。
現在ではご飯の量を控えて肉や魚、野菜を多く食べる人も珍しくありません。
一方、当時の庶民にとって米や麦などの穀物は、日々のエネルギーを確保する非常に重要な食べ物でした。
特に江戸の町では白米を多く食べる食生活が広がりました。
ところが精米によってビタミンB1を多く含む米ぬか部分が取り除かれた白米に偏った食生活は、脚気を引き起こす原因にもなります。
江戸で脚気が多く見られたことから「江戸わずらい」と呼ばれるようになったことは、当時の都市部の食生活を象徴する出来事でもあります。
食べ物が豊富になったことが、必ずしも栄養状態の改善だけにつながったわけではないのです。
「一汁一菜」のイメージに近い食卓も多かった
江戸時代の庶民の日常的な食事をイメージするときには、主食に汁物と一つのおかずを組み合わせる「一汁一菜」に近い形を考えると分かりやすいでしょう。
ただし、これはすべての庶民が毎日まったく同じ献立だったという意味ではありません。
季節や地域、家庭の経済状況によって食べられるものは変わります。
大切なのは、江戸の庶民が毎日のように寿司や天ぷら、うなぎを食べていたわけではないということです。
普段はご飯、味噌汁、漬物、野菜などを中心に比較的シンプルな食事を取り、ときには魚を食べたり、町へ出ればそばや寿司などの外食を楽しんだりする。
このように考えると、江戸時代の庶民の食生活をより現実的にイメージしやすくなります。
江戸の庶民を支えた屋台・外食文化
江戸時代の食文化を語るうえで欠かせないのが、屋台や飲食店の存在です。
そば、にぎり寿司、天ぷらなど、現在でも日本を代表する料理の中には、江戸の町で庶民向けの外食として発展したものがあります。
「江戸時代は自炊が当たり前だったのでは?」と思うかもしれませんが、江戸は当時としては非常に大きな都市でした。
多くの人が集まる都市だったからこそ、家庭の外で食事を提供する商売も発達していったのです。

江戸は多くの人が集まる巨大都市だった
徳川家康が江戸に幕府を開いて以降、江戸には武士だけでなく、商人や職人などさまざまな人々が集まるようになりました。
城下町の建設や商業の発展とともに人口が増加し、江戸は世界的に見ても規模の大きな都市へ成長していきます。
大勢の人が生活するようになれば、それだけ食事を必要とする人も増えます。
米、魚、野菜、味噌、醤油などの食料が各地から江戸へ運び込まれ、それを販売する商人や料理を提供する店も増えていきました。
こうした大都市としての発展が、江戸独自の外食文化を生み出す土台になったのです。
単身男性の多さも外食発達の背景に
江戸の外食文化が発達した理由としてよく挙げられるのが、男性人口の多さです。
江戸には武士や奉公人、職人など、仕事のために地方からやって来た人が数多く暮らしていました。
参勤交代によって江戸で生活する武士やその関係者もいました。
こうした都市の人口構成によって、家庭で毎食料理を作ることが難しい人や、手軽に食事を済ませたい人の需要が生まれます。
その需要に応えるように発達したのが、屋台や飲食店でした。
現代でも単身者や仕事で忙しい人が多い都市ほど、外食や中食の選択肢が豊富です。
時代は大きく違いますが、「都市生活者の需要に応えて食のサービスが発達する」という点では、現代にも通じる部分があります。
火事が多い江戸では火を使う自炊にも注意が必要だった
江戸は「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、たびたび大きな火災に見舞われた都市でした。
木造建築が密集していたため、一度火災が起きると広い範囲へ燃え広がる危険があります。
もちろん庶民も自宅で煮炊きをしていましたが、現代のキッチンのように安全な設備が整っていたわけではありません。
薪や炭を使って火を起こす必要があり、調理には燃料も手間もかかります。
こうした都市の住宅事情や火の扱いも、調理済みの食べ物を購入したり、外で食事を済ませたりすることに一定の利便性を与えていました。
ただし、「火事が多かったから江戸の人は自炊をせず外食していた」という単純な話ではありません。
庶民の家庭でも当然料理は行われており、外食の発達には人口構成や働き方、都市の規模など複数の事情が関係しています。
屋台は江戸の「ファストフード店」だった?
江戸の屋台料理は、現代のファストフードに例えられることがあります。
その理由は、比較的手軽に購入でき、注文してから長時間待つことなく、その場で食べられる料理が多かったためです。
代表的なのが、
・そば
・にぎり寿司
・天ぷら
・田楽
などです。
忙しく働いている人でも、屋台へ立ち寄って食事を済ませることができます。
現代のようなコンビニやファストフード店はありませんが、「早く、手軽に食べられる料理」に対する需要は江戸時代にも存在していたのです。
そば屋は江戸の町に欠かせない存在へ
江戸で特に広く普及した外食の一つがそばです。
そば屋は店舗だけではありません。
夜間にそばを売り歩く「夜鷹そば」なども知られています。
仕事を終えた人が夜にそばを食べることもでき、江戸の町では時間帯に応じた食の商売まで成立していました。
さらに江戸時代後期には、さまざまな種類のそばが提供されるようになります。
単に空腹を満たすだけでなく、好みに応じて料理を選ぶ楽しみも生まれていたことが分かります。
現在の東京にそば店が多く、濃口醤油を使ったつゆの文化が残っている背景にも、江戸の食文化があります。
にぎり寿司は屋台で食べる庶民の料理だった
現在では寿司というと、高級寿司店を思い浮かべる人もいるでしょう。
しかし江戸時代後期のにぎり寿司は、屋台で庶民が手軽に食べる料理として普及しました。
現在よりも大きめの寿司飯に、江戸近海で獲れた魚介類などをのせて提供します。
冷蔵庫のない時代なので、魚を酢で締めたり、煮たり、醤油に漬けたりする「仕事」を施すことも重要でした。
客は屋台へ立ち寄り、寿司をつまんで食べることができます。
こうして考えると、江戸時代の寿司は現代の「高級なコース料理」というより、気軽に食べられる都市型の食事としての性格も強かったことが分かります。
天ぷらも屋台で立って食べられていた
天ぷらも江戸の屋台文化を代表する料理です。
魚介類などに衣をつけて揚げた天ぷらが屋台で販売され、その場で食べられていました。
油を使った料理は家庭で作れば油の用意や火の管理、後片付けなどに手間がかかります。
専門の屋台で調理したものを購入できることは、都市生活者にとって便利だったと考えられます。
また、江戸湾では魚介類が獲れたため、海産物と揚げ物の調理技術が組み合わさり、江戸らしい天ぷら文化へ発展していきました。
屋台だけでなく料理茶屋なども発達した
江戸の外食は、安くて手軽な屋台だけではありません。
町の発展とともに、料理を提供するさまざまな店が登場しました。
その中には料理茶屋など、屋台よりも落ち着いた環境で料理を楽しめる店もあります。
つまり江戸時代には、
「空腹を手軽に満たす外食」
だけでなく、
「料理そのものや店で過ごす時間を楽しむ外食」も発達していったのです。
所得や目的によって利用する店も異なり、江戸の外食産業は次第に多様化していきました。
食べ歩きだけでなく「買って帰る」食文化もあった
江戸の庶民は、必ずしも屋台の前ですべてを食べていたわけではありません。
調理済みの食品を購入し、自宅へ持ち帰って食べることもできました。
現在でいう「テイクアウト」や「中食」に近い利用方法です。
さらに、魚や野菜、豆腐、納豆などを売り歩く商人もいました。
現代ではスーパーへ行って食材を買うのが一般的ですが、江戸の町では売り手が住宅地を回り、生活に必要な食品を販売する商売も盛んでした。
家の近くまで食材や食品を持ってきてくれるため、都市生活者にとって便利な仕組みだったのです。
棒手振りが江戸の食生活を支えていた
商品を天秤棒の前後に下げ、町を歩きながら販売する商人は「棒手振り(ぼてふり)」などと呼ばれました。
扱う商品は商人によって異なり、魚や野菜などの食材を売る者もいました。
江戸の町では人口が集中していたため、こうした移動販売でも多くの客を相手にすることができます。
店舗へ買い物に行くだけでなく、売り手が町を歩いて商品を届ける。
江戸の食生活は、店舗、屋台、行商など複数の販売方法によって支えられていました。
江戸の外食文化は現代の食生活にも残っている
江戸の屋台や外食文化を見ていると、現代の都市生活と意外な共通点が見えてきます。
忙しいときには短時間で食事を済ませたい。
家で作るのが大変な料理は外で食べたい。
たまには普段と違う料理を楽しみたい。
出来上がった食べ物を買って家で食べたい。
こうした需要は、現代人だけのものではありません。
江戸の町でも、人々の生活に合わせて食事を提供するさまざまな商売が生まれていました。
そして、江戸の町で人気を集めたそば、寿司、天ぷら、うなぎなどは、形を変えながら現在まで食べ続けられています。
江戸の外食文化は単なる「昔のグルメ」ではなく、現代の日本の外食文化につながる重要な存在だったのです。
江戸時代の庶民はどんなお菓子・甘いものを食べていた?
江戸時代の庶民は、ご飯やそば、魚などを食べるだけでなく、お菓子や甘味も楽しんでいました。
現在のようにコンビニやスーパーへ行けば何十種類ものお菓子を買える時代ではありませんが、江戸の町には団子、饅頭、餅、飴、煎餅などさまざまな食べ物がありました。
特に江戸時代には茶を飲む習慣が広まり、寺社参詣や花見などの行楽も盛んになります。
茶店で一休みしながら団子を食べるなど、「食事とは別に甘味を楽しむ」という文化も庶民の生活に浸透していきました。

団子|江戸庶民の身近なおやつ
江戸時代の甘味としてイメージしやすいものの一つが団子です。
米などを原料に作る団子は、茶店や寺社の門前などでも販売されました。
串に刺せば持ちやすく、屋外でも食べやすいため、行楽との相性もよい食べ物です。
味付けにもさまざまなものがあり、醤油を使ったものや餡を添えたものなどが食べられていました。
現在でも寺社や観光地の門前に団子屋が見られますが、こうした「出かけた先で名物の団子を食べる」という楽しみは、江戸時代の行楽文化とも深く結びついています。
饅頭|庶民にも広がっていった菓子
饅頭そのものは江戸時代より前に日本へ伝わったとされています。
その後、日本の食文化に合わせて変化し、餡を包んだ甘い饅頭も広まっていきました。
江戸時代に砂糖の流通が増えて菓子文化が発達すると、饅頭も人々に親しまれる菓子となります。
現代では温泉地や観光地のお土産としても定番ですが、饅頭には非常に長い歴史があるのです。
羊羹|江戸時代に現在に近い形へ
和菓子の代表として知られる羊羹も、長い歴史を持つ食べ物です。
もともとの羊羹は、現在の甘い和菓子とは異なる料理でした。
日本へ伝わった後、肉食を避ける禅僧などによって小豆などを使った食品へ変化したとされています。
さらに江戸時代になると、寒天を利用して固める製法が登場し、現在の練羊羹につながる形が作られるようになりました。
砂糖を多く使用する羊羹は団子などと比べると高価になりやすく、庶民が日常的に大量に食べるような菓子とは限りませんでした。
それでも江戸時代の菓子文化の発展を象徴する食べ物の一つといえるでしょう。
餅|行事にも日常にも登場する食べ物
餅は江戸時代よりはるか以前から日本で食べられてきました。
正月など特別な行事との結びつきが強い一方、江戸時代にもさまざまな形で食べられています。
餅に餡を合わせたり、焼いて醤油をつけたりするなど、食べ方を変えることで甘味にも軽食にもなります。
また、地域や寺社の周辺では、その土地ならではの餅菓子が名物になることもありました。
現在でも全国各地に「あんころ餅」「草餅」「桜餅」などさまざまな餅菓子が残っています。
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桜餅|江戸で生まれたとされる春の名物
現在でも春になると店頭に並ぶ桜餅。
その中でも、小麦粉などを使った薄い生地で餡を包む関東風の桜餅は、江戸時代に生まれたとされています。
江戸の向島にある長命寺の門前で売られた桜餅が有名になり、花見客などに親しまれました。
桜の葉を塩漬けにして利用することで、桜の香りと塩味、餡の甘味を一緒に楽しめます。
現在でも「長命寺」と呼ばれる関東風桜餅が残っていることからも、江戸の食文化が現代まで受け継がれていることが分かります。
飴|庶民や子どもにも親しまれた甘味
飴も江戸時代に親しまれていた甘味です。
当時は現代のキャンディーとまったく同じものではなく、米や麦などから作られる水飴なども利用されていました。
江戸の町には飴を売り歩く商人もいました。
中には商品を販売するだけでなく、歌や踊りなどで人を集めながら飴を売る者もいたとされています。
現在でいう実演販売やパフォーマンス販売に近い側面もあり、買い物そのものが娯楽になることもあったのです。
煎餅|甘いものだけがおやつではない
江戸時代のおやつは甘いものだけではありません。
米などを原料とする煎餅も食べられていました。
江戸時代に関東で濃口醤油が普及していくと、醤油を塗って焼く煎餅も広まっていきます。
パリッとした食感と醤油の香ばしさを楽しめる煎餅は、現在でも日本を代表する米菓です。
現代のお菓子売り場に並んでいる商品にも、江戸時代の食文化とつながるものが数多く残っています。
ところてん|夏に楽しむ涼しげな食べ物
ところてんは天草などの海藻を原料として作られます。
つるりとした食感が特徴で、暑い時期にも食べやすい食品です。
江戸時代には、ところてんを売り歩く商売もありました。
現代のような冷蔵・冷凍設備がない時代でも、人々は季節に合わせた食べ物を楽しんでいたのです。
ただし、ところてんは地域によって食べ方が異なり、現在でも酢醤油などで食べる地域と黒蜜などで甘味として食べる地域があります。
そのため、必ずしも「江戸時代の甘いお菓子」とだけ考える必要はありません。
江戸時代には砂糖は貴重品だった?
江戸時代の甘味を考えるうえで重要なのが砂糖です。
現代では砂糖を安価に購入できますが、江戸時代初期には輸入に依存する部分が大きく、現在ほど気軽に大量使用できる調味料ではありませんでした。
その後、国内での砂糖生産が奨励され、江戸時代中期以降には国産砂糖の生産も拡大していきます。
砂糖が以前より流通するようになると、それに伴って菓子文化も発達していきました。
つまり、江戸時代約260年間を通じて、庶民が同じように甘いものを食べていたわけではありません。
時代が進むにつれて砂糖を使った菓子の種類が増え、人々が甘味を楽しむ機会も広がっていったと考えた方が実態に近いでしょう。
寺社参詣や花見と「食べる楽しみ」が結びついた
江戸時代には庶民の行楽も盛んになりました。
寺社へ参詣したり、花見を楽しんだり、名所を訪れたりする人もいます。
そこで重要になったのが、道中や目的地で楽しむ食べ物です。
寺社の門前や街道沿いには茶店があり、団子や餅などを食べながら休憩することができました。
人気の店や名物料理を目当てに出かけることもあります。
これは現代の旅行で、
「せっかく行ったから名物を食べよう」
「観光地で人気のお菓子を買おう」
と考える感覚にも通じるものがあります。
江戸時代には交通や旅行にさまざまな制約がありましたが、庶民にとって「出かけた先で食べること」は大きな楽しみの一つでした。
現代の和菓子文化につながる食べ物が多い
江戸時代のおやつを見てみると、
団子、饅頭、羊羹、餅、桜餅、飴、煎餅、ところてんなど、現在でも普通に食べられているものが数多く登場します。
もちろん製法や材料、甘さ、食べ方などは現代とまったく同じではありません。
それでも、数百年前の庶民が楽しんでいた食べ物を、私たちも現在のおやつとして食べていることになります。
寿司やそばなどの食事だけでなく、現在の和菓子文化を考えるうえでも江戸時代は重要な時代だったのです。
江戸時代から続く老舗の和菓子店も存在する!?
江戸時代の庶民はどんな魚や野菜を食べていた?
江戸時代の食卓には、現代の私たちにも馴染みのある魚や野菜が数多く登場します。
特に江戸は海に面した都市だったため、江戸湾で獲れる魚介類を利用しやすい環境にありました。
一方、野菜についても江戸周辺ではさまざまな種類が栽培され、都市へ供給されていました。
冷蔵庫もトラックもない時代だからこそ、「近くで獲れたもの・採れたものを食べる」という現在の地産地消に近い食生活が重要だったのです。

江戸湾で獲れる魚介類は「江戸前」と呼ばれた
現在「江戸前」という言葉を聞くと、江戸前寿司を思い浮かべる人が多いでしょう。
もともと江戸前は、江戸の前に広がる海や、そこで獲れる魚介類などを指す言葉として使われました。
江戸湾ではさまざまな魚介類が獲れ、それらが江戸の町へ運ばれていました。
代表的なものとして、
・コハダ
・アナゴ
・エビ
・白魚
・ハゼ
・アサリ
・シジミ
などが挙げられます。
こうした魚介類は、寿司、天ぷら、汁物、煮物などさまざまな料理に利用されました。
海の近くに巨大都市が形成されたことは、江戸独自の食文化が発展するうえで大きな意味を持っていたのです。
マグロは江戸時代から人気だった?
現在、寿司ネタとして圧倒的な人気を誇る魚の一つがマグロです。
江戸時代にもマグロは食べられていましたが、現在と評価は大きく異なっていました。
特に脂の多い部分は傷みやすく、冷蔵技術のない時代には扱いにくいものでした。
現在では高級部位として知られる「トロ」も、昔から同じように珍重されていたわけではありません。
一方、赤身は醤油に漬ける「ヅケ」などにすることで保存性を高めることができます。
このような工夫によって、マグロは江戸前寿司のネタとして利用されるようになりました。
現代では冷蔵・冷凍技術によって新鮮なマグロを全国で食べることができますが、江戸時代には保存技術に合わせて食べ方そのものを工夫していたのです。
カツオは江戸っ子が好んだ魚
江戸の魚文化を象徴する存在として知られているのが初鰹です。
江戸では「初物」を珍重する風潮があり、その年に初めて出回る食材には特別な価値があると考えられていました。
中でも初鰹は江戸っ子に好まれ、高値で取引されることもありました。
有名な、
「女房を質に入れても初鰹」
という言葉が伝わっているほどです。
もちろん、本当に庶民が皆そこまでして初鰹を購入していたという意味ではありません。
それほど江戸っ子が初鰹を珍重したことを表現した言葉と考えるとよいでしょう。
旬の食材や「今年初めて食べるもの」に価値を感じる文化も、江戸の食の面白い特徴です。
アナゴは江戸前の代表的な魚介類
アナゴも江戸湾で獲れる代表的な魚介類です。
江戸時代には寿司や天ぷらなどに利用されました。
現在の江戸前寿司でも、煮アナゴは定番のネタとして残っています。
生のまま食べるのではなく、煮るなどの調理を施して提供するところにも、冷蔵設備がなかった時代の調理技術を見ることができます。
コハダも江戸前寿司を代表する魚
コハダも江戸前寿司と深い関係を持つ魚です。
コハダはコノシロの若魚で、成長に伴って名前が変化する出世魚としても知られています。
寿司では塩を当てて酢で締めることで、独特の風味を楽しめるようにします。
魚を単に生で食べるのではなく、塩や酢、醤油、煮るといった方法を組み合わせるのが江戸前寿司の特徴です。
こうした技術には味を良くするだけでなく、保存性を高める意味もありました。
アサリやシジミなどの貝類も身近だった
江戸湾や河川では、魚だけでなく貝類も利用されました。
特にアサリは深川周辺の食文化と深い関係があります。
アサリなどの貝を味噌などで煮てご飯と食べる料理は、現在の「深川めし」につながっています。
シジミも汁物などに利用できます。
高価な魚だけではなく、身近な場所で採れる貝類も庶民の食生活を支えていました。
魚はどのように保存していた?
江戸時代には家庭用の冷蔵庫も冷凍庫もありません。
そのため、魚を長期間そのまま保存することは困難でした。
そこで、
・塩を使う
・酢で締める
・干す
・煮る
・醤油に漬ける
など、さまざまな方法が利用されました。
現在の江戸前寿司で見られる「締める」「漬ける」「煮る」といった仕事にも、こうした時代背景があります。
つまり江戸時代の調理法は、単に味をおいしくするだけではありません。
食材をできるだけ安全に、長く利用するための生活の知恵でもあったのです。
江戸時代の庶民が食べていた野菜
江戸時代の食卓では魚介類だけでなく、野菜も重要な食材でした。
現在のように季節を問わず全国各地の野菜を購入できるわけではないため、その土地で採れる旬の野菜が重要になります。
江戸周辺にも農村が広がっており、都市で暮らす大勢の人々へ野菜を供給していました。

大根|江戸の食卓を代表する野菜
江戸時代の庶民にとって非常に身近だった野菜の一つが大根です。
大根は、
・煮物
・汁物
・漬物
・大根おろし
など幅広く利用できます。
さらに漬物や干し大根にすれば保存性を高めることもできます。
江戸の人々が好んだものとして「白米・豆腐・大根」をまとめた「三白」という表現が伝えられているほど、大根は身近な食材でした。
また、江戸周辺ではさまざまな品種の大根が栽培されました。
現在でも東京の伝統野菜として知られる練馬大根などに、その歴史を見ることができます。
小松菜|名前の由来も江戸にある?
現在では全国のスーパーで購入できる小松菜も、江戸と深い関係を持つ野菜です。
小松菜という名前は、現在の東京都江戸川区周辺にあった小松川に由来するとされています。
江戸時代、将軍徳川吉宗がこの地域を訪れた際に食べた青菜を気に入り、地名から「小松菜」と名付けたという逸話が伝わっています。
ただし、こうした名称の由来には伝承的な部分もあるため、史実として細部まで断定するのは避けた方がよいでしょう。
いずれにしても、小松菜は江戸周辺で栽培されてきた野菜であり、現在まで東京の食文化に残っています。
ねぎ|薬味から汁物まで幅広く活躍
ねぎも庶民の食事に利用しやすい野菜です。
汁物や煮物に入れるだけでなく、そばなどの薬味としても使うことができます。
江戸のそば文化が発達していく中で、薬味も料理をおいしく食べるための重要な存在となりました。
現在でも「そば+ねぎ」という組み合わせは定番です。
江戸時代に広がった食文化の中には、料理そのものだけでなく、薬味や調味料の組み合わせまで現在に受け継がれているものがあります。
ごぼう|煮物などに使える身近な根菜
ごぼうも日本の食文化で古くから利用されてきた野菜です。
根菜類は煮物などに使いやすく、江戸時代の料理にも登場します。
現在でもきんぴらごぼうや煮物など、和食では非常に身近な食材です。
食物繊維が多い野菜として知られていますが、江戸時代の人々が現在の栄養学を理解して選んでいたわけではありません。
身近で手に入り、料理に利用しやすい食材として食生活に取り入れられていました。
れんこん|煮物や酢を使った料理にも
れんこんも江戸時代に食べられていた野菜の一つです。
煮物にしたり、酢を利用した料理にしたりと、さまざまな方法で食べることができます。
穴が開いていて「先を見通せる」ことから、現在では縁起のよい食材としておせち料理にも使われます。
このように、野菜は単に日々の栄養源としてだけでなく、季節行事や縁起とも結びつきながら日本の食文化に定着していきました。
なす|江戸時代にも「初物」が人気
なすも古くから日本で食べられている野菜です。
江戸では魚の初鰹だけでなく、野菜でも季節の初物が珍重されました。
そのため、本来の旬より早く野菜を出荷する栽培も行われるようになります。
初物には縁起がよいという考え方もあり、人々は季節の食材が最初に出回ることを楽しみにしていました。
現在でも「初物を食べる」という表現が残っていますが、旬の始まりを特別に楽しむ感覚は江戸時代の食文化にも見ることができます。
かぼちゃ・さつまいもなども庶民の食生活へ
江戸時代には、それ以前に海外から日本へ伝わった野菜や作物も次第に広まっていきます。
かぼちゃやさつまいもなどもその代表です。
特にさつまいもは江戸時代に栽培が広がり、米とは異なる土地でも育てやすい作物として重要になりました。
飢饉への備えとなる救荒作物としても注目され、青木昆陽がさつまいもの普及に関わったことはよく知られています。
さらに、焼き芋も江戸の町で人気を集めるようになります。
現在でも秋から冬の定番となっている焼き芋ですが、その人気には長い歴史があるのです。
旬の食材を食べるのが基本だった
現代では真冬にトマトを買ったり、季節を問わず多くの野菜を食べたりできます。
ハウス栽培、冷蔵設備、高速道路、航空輸送などが発達したためです。
江戸時代には当然、そのような環境はありません。
そのため、基本的には季節ごとに手に入る食材を利用することになります。
春には春の食材、夏には夏の野菜、秋には収穫された作物、冬には保存した食品を利用する。
現在「旬の食材を楽しむ」ことは豊かな食生活の一つとして捉えられていますが、江戸時代には季節に合わせて食べることが生活そのものでもありました。
江戸には全国から食材も集まっていた
一方で、江戸の食生活を単純な「地産地消」だけで説明することもできません。
巨大都市となった江戸には、各地から大量の物資が運ばれていました。
米をはじめ、酒、醤油、乾物などさまざまな食品が水運などを利用して江戸へ送られます。
つまり江戸は、
近隣で採れる新鮮な魚や野菜を利用しながら、全国から集まる食品も消費する巨大市場
でもあったのです。
この豊富な食材と巨大な消費人口が組み合わさったことが、江戸の多彩な食文化を生み出す大きな要因となりました。
豆腐・納豆・味噌などの大豆食品も庶民の重要な食べ物だった
江戸時代の庶民の食生活を見ていくと、何度も登場する食材があります。
それが「大豆」です。
大豆そのものを食べるだけでなく、豆腐、納豆、味噌、醤油、油揚げなど、さまざまな食品へ加工して利用されていました。
現在の和食でも当たり前のように使われている食品ばかりですが、江戸時代の食卓でも重要な存在でした。
特に肉を日常的に大量消費する食生活ではなかった当時、大豆を使った食品は庶民にとって身近な食材の一つだったのです。

豆腐は江戸庶民の定番食材
現在ではスーパーへ行けば比較的安価に購入できる豆腐。
江戸時代にも庶民に広く親しまれていました。
豆腐の魅力は、そのまま食べるだけでなく、さまざまな料理へ変化させられることです。
焼く、煮る、揚げる、味噌をつけるなど、調理方法を変えれば同じ豆腐でも違った料理になります。
豆腐田楽のような料理もあり、庶民の食事から外食まで幅広く利用されました。
そして、江戸時代の豆腐人気を象徴する存在が『豆腐百珍』です。
『豆腐百珍』は江戸時代の大ヒット料理本
1782年に出版された『豆腐百珍』には、その名の通り豆腐を使った数多くの料理が掲載されています。
料理は内容によって分類され、日常的なものから工夫を凝らしたものまで、豆腐の多彩な食べ方が紹介されました。
『豆腐百珍』は評判となり、続編も出版されています。
これは現代で考えると、
「豆腐だけで作れるレシピ100選」
のような料理本がヒットしたようなものです。
一つの食材をテーマに、さまざまな調理法を紹介するという発想は、現在のレシピ本や料理サイトにも通じます。
江戸時代の人々も、単に空腹を満たすだけではなく、
「いつもの食材をどうすればもっとおいしく食べられるのか」
「いつもとは違う料理を作れないか」
という食への関心を持っていたことがうかがえます。
江戸時代には料理本を読む文化も発達した
『豆腐百珍』が人気を集めた背景には、江戸時代に出版文化が発達していたこともあります。
江戸時代にはさまざまな本が出版され、料理に関する本も登場しました。
料理の作り方や食材について書かれた本が流通することで、それまで知らなかった調理方法を知る機会も生まれます。
現代ではインターネットで、
「豆腐 簡単レシピ」
などと検索すれば大量の料理が表示されます。
もちろん情報の伝わり方はまったく違いますが、江戸時代にも「料理の情報を読んで、新しい食べ方を知る」という文化が存在していたのです。
油揚げも庶民の料理に利用された
豆腐を油で揚げて作る油揚げも、江戸時代の食文化に登場します。
油揚げはそのまま料理に使うだけでなく、ご飯を詰めればいなり寿司になります。
いなり寿司は江戸時代後期には屋台などでも販売され、庶民が手軽に食べられる食品となりました。
豆腐という一つの食品から、油揚げ、さらにいなり寿司へと食文化が広がっていったことになります。
現在でも豆腐売り場には豆腐、油揚げ、厚揚げなどさまざまな大豆加工食品が並んでいます。
大豆を多様な形に加工して食べる日本の食文化は、江戸時代の庶民の生活にも深く根付いていました。
納豆売りが江戸の町を歩いていた
納豆も江戸の庶民にとって身近な食品でした。
江戸の町では納豆を売り歩く商人も存在しました。
売り手が町を回るため、客はわざわざ市場や店まで出かけなくても食品を購入できます。
これは魚や野菜などを販売する行商と同じく、人口が集中した江戸ならではの販売方法でもあります。
納豆は大掛かりな調理をしなくても食べられ、ご飯とも組み合わせやすい食品です。
現在の「納豆ご飯」につながる食べ方にも長い歴史があります。
味噌汁は庶民の日常食を支えた
江戸時代の庶民の食卓を想像するとき、欠かせない料理の一つが味噌汁です。
味噌を湯に溶き、野菜など身近な食材を入れれば汁物になります。
大根、ねぎ、豆腐など、そのとき手に入る材料を使うことができます。
毎日豪華なおかずを用意できなくても、
主食+味噌汁+漬物
といった比較的簡素な組み合わせで食事を取ることができます。
味噌は味付けとして利用できるだけでなく、保存しやすい発酵食品でもあります。
現在でも日本の家庭料理を代表する味噌汁が、江戸時代の庶民にも身近だったことは、日本の食生活の連続性を感じられる部分です。
味噌は汁物以外にも使われていた
味噌の使い道は味噌汁だけではありません。
豆腐やこんにゃくなどに味噌をつけて焼く田楽をはじめ、煮物や味付けなどにも利用できます。
さらに地域によって作られる味噌の特徴も異なります。
現代でも赤味噌、白味噌、麦味噌など地域によって好まれる味噌が違いますが、こうした地域性は日本の食文化の大きな特徴です。
物流が現在ほど発達していなかった時代には、地域で生産される食品の違いが食生活にも強く表れていました。
醤油の発達が「江戸の味」を作った
大豆を使った調味料として、江戸の食文化に大きな影響を与えたのが醤油です。
江戸時代初期には上方から運ばれてくる醤油が珍重されました。
しかし江戸の人口が増加すると、関東でも醤油の生産が発展していきます。
特に現在の千葉県にあたる野田や銚子などは、醤油の産地として発展しました。
関東で広まった濃口醤油は、江戸の人々の好みに合い、江戸料理の味付けに大きな影響を与えていきます。
そばつゆ、うなぎの蒲焼き、寿司など、現在「江戸の味」として知られている料理の多くにも醤油が欠かせません。
つまり醤油の普及は、一つの調味料が増えただけではなく、江戸独自の料理文化が形成される重要な要素になったのです。
大豆はさまざまな食品へ姿を変える便利な食材だった
大豆の面白さは、一つの農作物からまったく異なる食品を作れることです。
大豆からは、
・豆腐
・油揚げ
・納豆
・味噌
・醤油
などを作ることができます。
同じ大豆を原料としていても、味、食感、保存性、使い方はそれぞれ異なります。
冷蔵設備や現代的な食品加工技術がなかった時代でも、発酵や凝固などの技術を利用することで、人々は大豆をさまざまな食品へ変化させてきました。
こうした加工技術があったからこそ、限られた食材を飽きずに利用することもできたのでしょう。
現代の和食にも大豆文化はそのまま残っている
江戸時代の大豆食品を見てみると、驚くほど現代の食卓と共通しています。
朝食に納豆を食べる。
味噌汁に豆腐を入れる。
煮物を醤油で味付けする。
油揚げを汁物に入れる。
いなり寿司を食べる。
どれも現在の日本では珍しくありません。
江戸時代からまったく変わっていないわけではありませんが、大豆をさまざまな形に加工して食べる文化は現在まで受け継がれています。
寿司、天ぷら、そばといった華やかな江戸グルメだけでなく、豆腐や味噌、納豆のような身近な食品を見ることで、江戸時代の庶民が実際にどのような食生活を送っていたのかがより具体的に見えてくるのです。
江戸時代の料理はどんな味?庶民が使っていた調味料
江戸時代の料理を見ていると、そば、寿司、天ぷら、うなぎ、煮物など、現代でも馴染みのある料理が数多く登場します。
では、その味も現在と同じだったのでしょうか。
江戸時代にも醤油、味噌、塩、酢、砂糖など、現在の和食で使われる基本的な調味料が利用されていました。
しかし、調味料の価格や流通、製造方法などは現代と異なります。
また、江戸で好まれた味と上方の味にも違いがあり、調味料の発達は地域ごとの食文化を作る大きな要素となりました。

醤油|江戸料理の味を大きく変えた調味料
江戸料理を語るうえで特に重要なのが醤油です。
江戸時代初期には、上方で作られた醤油などが江戸へ運ばれていました。
しかし江戸が巨大都市へ成長して需要が増えると、関東でも醤油生産が発展します。
野田や銚子などの産地が成長し、濃口醤油が江戸の人々に広まっていきました。
濃口醤油は、
・そばつゆ
・寿司
・うなぎの蒲焼き
・煮物
・焼き物
など、さまざまな料理に利用できます。
現在「江戸前」と呼ばれる料理の味を作るうえでも、醤油は欠かせない存在となりました。
味噌|味噌汁だけではない万能調味料
味噌も江戸庶民の食生活に欠かせない調味料です。
味噌汁にするだけでなく、食材につけたり、煮たり、焼いたりと幅広く利用できます。
豆腐などに味噌を塗って焼く田楽も、その代表的な料理です。
味噌は発酵食品なので保存しやすく、日常の味付けにも利用できました。
現在でも味噌汁をはじめ多くの家庭料理で使われていますが、江戸時代にも身近な調味料だったのです。
塩|味付けと保存の両方に欠かせなかった
塩は単に料理をしょっぱくするためだけのものではありません。
冷蔵庫がない江戸時代には、食品を保存するためにも重要でした。
魚に塩をする。
野菜を塩漬けにする。
梅を漬ける。
こうした方法によって食材の保存性を高めることができます。
特に生鮮食品を長期間新鮮なまま保管することが難しい時代には、塩を利用した保存技術が生活を支えていました。
現在では「塩分を取りすぎないようにする」という健康面が注目されますが、江戸時代の人々にとって塩は味付けだけでなく、食品を保存するためにも欠かせない存在だったのです。
酢|寿司の発達にも欠かせなかった
江戸の食文化で重要な調味料の一つが酢です。
特に寿司との関係は深く、酢飯や魚を締めるために利用されました。
寿司の原型には発酵によって保存するものがありましたが、酢を利用することで発酵に長い時間をかけず、より短時間で寿司を作る方法が広まっていきます。
江戸時代後期ににぎり寿司が登場し、屋台で手軽に食べられる料理へ発展した背景にも、こうした酢を使う食文化がありました。
また、酢は魚や野菜を使った料理にも利用できます。
現在の和食でも酢の物や寿司などに欠かせない調味料ですが、その利用には長い歴史があります。
酒|飲むだけでなく料理にも利用された
日本酒はもちろん酒として飲まれていましたが、料理にも利用できます。
煮物などに酒を加えることで風味を整えるなど、調味料としての役割もあります。
また、酒そのものも江戸の食文化を考えるうえで重要です。
江戸には上方から大量の酒が運ばれました。
特に灘などで造られ、船で江戸へ運ばれた酒は「下り酒」として知られています。
江戸の町では酒を飲みながら料理を楽しむ文化も発達し、居酒屋につながる店も登場しました。
食事と酒を一緒に楽しむ現在の日本の外食文化にも、江戸時代から続く部分があります。
日本酒は開運にも使われています
日本酒を使った浄化・開運方法10選|日本酒流し・日本酒風呂・古くから伝わるお清めを解説
みりん|現在とは違い飲み物としても楽しまれた
現在のみりんは、煮物や照り焼きなどに使う調味料というイメージが強いでしょう。
しかし、みりんはもともと甘味のある酒として飲まれることもありました。
江戸時代には飲用として楽しまれながら、次第に料理にも利用されるようになっていきます。
砂糖とは違った甘味を加えられ、料理に照りや風味を与えることができます。
現在の和食で当たり前のように使われる「醤油+みりん」といった味付けにも、長い歴史があるのです。
砂糖|時代が進むにつれて菓子や料理に広がった
甘いものの章でも触れたように、江戸時代初期の砂糖は現在ほど気軽に大量使用できる食品ではありませんでした。
輸入品に頼る部分が大きく、貴重な品でもありました。
その後、国内での砂糖生産が奨励されるようになり、江戸時代中期以降には国産砂糖の生産も拡大します。
砂糖の流通量が増えることで、菓子文化もさらに発達していきました。
ただし、現代のように非常に安価な砂糖を大量に使える環境と同じではありません。
「江戸時代には甘い料理やお菓子が存在しなかった」のでも、「庶民が現代と同じように大量の砂糖を使っていた」のでもなく、時代とともに利用が広がっていったと考えるのが適切です。
だし|江戸時代の料理にも「うま味」があった
和食の味を支えるものは調味料だけではありません。
だしも重要です。
昆布や鰹節などを使えば、食材からうま味を引き出すことができます。
江戸には各地からさまざまな食品が運ばれており、乾物なども流通していました。
ただし、地域によって使われるだしには違いがあります。
たとえば昆布は北海道などで採れたものが北前船などによる海運を通じて各地へ運ばれ、特に上方の食文化に大きな影響を与えました。
一方、江戸では鰹節を使っただしが発達していきます。
こうした地域による違いは、現在の関東と関西の味付けの違いにもつながっています。
江戸の味付けは濃かった?
現在でも「関東の料理は味が濃い」「関西は薄味」といわれることがあります。
江戸時代に関東で濃口醤油が発達したことは、こうした味の地域差を考えるうえで重要です。
そばつゆや蒲焼きなど、江戸で発達した料理には濃口醤油を生かしたものが数多くあります。
ただし、
「江戸時代の料理は何でも塩辛かった」
と単純に考えるのは適切ではありません。
料理によって調理方法は異なり、味噌、酢、だしなどさまざまな味付けが存在します。
また、現代の食品と当時の調味料では製法や品質も異なるため、現在の料理とまったく同じ味だったと断定することもできません。
保存のための味付けも重要だった
現代の料理では「おいしくすること」が調味料を使う大きな目的です。
しかし江戸時代には、保存性を高めるという目的も現在以上に重要でした。
塩漬けにする。
酢で締める。
醤油に漬ける。
味噌に漬ける。
干して水分を減らす。
発酵させる。
こうした技術を組み合わせることで、冷蔵庫がなくても食材をできるだけ長く利用できるようにしていました。
江戸前寿司で魚を酢で締めたり、醤油に漬けたり、煮たりする技術もその一例です。
現在では「職人の仕事」として味や食感を高める意味が注目されますが、その背景には冷蔵技術がなかった時代ならではの事情があります。
現在の「和食の味」の原型が見えてくる
江戸時代に使われていた調味料を並べると、
・醤油
・味噌
・塩
・酢
・酒
・みりん
・砂糖
・だし
など、現在の和食でもおなじみのものばかりです。
もちろん、江戸時代約260年間の中でも食文化は変化しており、地域や家庭によって使える調味料も異なりました。
それでも、醤油や味噌、だしなどを組み合わせて料理する現在の日本料理と共通する部分は非常に多くあります。
江戸時代の庶民が食べていた料理を知ることは、単に昔の食生活を知るだけではありません。
私たちが現在「和食らしい味」と感じているものが、どのように形成されてきたのかを知ることにもつながるのです。
江戸時代の庶民は肉を食べなかった?
江戸時代の食事について、
「当時の日本人は肉を食べていなかった」
と聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
確かに、現代のようにスーパーで牛肉や豚肉、鶏肉を購入し、日常的に肉料理を食べる食生活ではありませんでした。
しかし、「江戸時代には肉食が完全に禁止されていて、庶民は一切肉を食べなかった」と考えるのも正確ではありません。
実際には猪、鹿などの獣肉を食べることがあり、江戸には獣肉を扱う店も存在しました。
江戸時代の肉食には、現代とはかなり異なる事情があったのです。

日本では肉食を避ける考え方が広がっていた
日本では古くから動物の肉をまったく食べなかったわけではありません。
しかし、仏教の影響や殺生を避ける考え方などから、獣肉を食べることを忌避する風潮が広がっていきました。
さらに江戸時代には、身分や職業、地域、動物の種類などによって肉との関わり方も異なります。
そのため、
「肉食は禁止されていた」
「実際には肉を食べていた」
というどちらか一方だけで説明しようとすると、当時の実態が分かりにくくなります。
現代のように肉が日常的な主菜ではなかった一方で、獣肉を食べる文化そのものが消滅していたわけでもなかったと考えると分かりやすいでしょう。
猪や鹿などの肉は食べられていた
江戸時代にも猪や鹿などの野生動物は食用にされることがありました。
特に山間部では狩猟によって得られる獣肉が利用されることもあります。
江戸のような都市にも獣肉が流通し、それを販売する店が存在しました。
つまり、江戸時代の人々にとって肉そのものが未知の食材だったわけではありません。
ただし、現代のような大規模な畜産・食肉流通が確立していたわけではないため、肉を食べる頻度や位置付けは現在とは大きく異なります。
猪肉を「山鯨」と呼ぶこともあった
江戸時代の肉食について紹介するときによく登場する言葉が「山鯨(やまくじら)」です。
猪などの獣肉を指す表現として使われました。
「肉を食べることがはばかられたので、魚である鯨の名前を使って隠れて食べていた」と説明されることもあります。
しかし、「山鯨」という言葉が使われていたことと、すべてが肉食禁止をごまかすための隠語だったという説明は分けて考える必要があります。
江戸時代の肉食には宗教観だけでなく、地域の習慣や薬食の考え方などさまざまな要素が関係しているからです。
それでも、猪を山の鯨に見立てる「山鯨」という呼び方が存在したことは、当時の人々と獣肉との独特な関係を感じられる例といえるでしょう。
「薬食い」として肉を食べることもあった
江戸時代の肉食を理解するうえで重要な言葉が「薬食い」です。
獣肉を単なる食事としてではなく、滋養をつけるためのもの、体調を整えるためのものとして食べる考え方がありました。
現代でいう医薬品と同じ意味ではありませんが、当時は食べ物と養生が密接に結びついていました。
肉を食べることに抵抗がある社会の中でも、
「これは薬のために食べるものだ」という考え方で獣肉を口にすることがあったのです。
猪、鹿などの肉がこうした薬食いの対象になりました。
江戸には「ももんじ屋」があった
さらに興味深いのが「ももんじ屋」と呼ばれる店です。
江戸には猪や鹿などの獣肉を扱う店が存在し、こうした店がももんじ屋と呼ばれました。
獣肉が表向きの日常食として一般的だったわけではない時代に、専門的に扱う商売が成立していたことになります。
これは、
「江戸時代の人は獣肉をまったく食べなかった」というイメージとはかなり異なります。
江戸の町には寿司屋、そば屋、天ぷら屋だけでなく、獣肉を扱う店まで存在していたのです。
両国周辺には獣肉を扱う店も
江戸で獣肉を扱う場所として知られていた地域の一つが両国周辺です。
現在の東京でも、江戸時代から続く獣肉料理の歴史を伝える店や文化が残っています。
猪肉を使った料理は「ぼたん鍋」と呼ばれることがあります。
猪肉を皿へ牡丹の花のように盛り付けることなどが名称の由来として語られています。
こうした料理を見ると、肉食文化は明治時代になって突然何もないところから始まったわけではないことが分かります。
江戸時代にも規模や社会的位置付けは違いながら、獣肉を食べる文化は存在していました。
肉には別の呼び方が使われることも
獣肉については、動物名を直接使わず別の名前で呼ぶ文化も知られています。
有名なのが、
猪肉を「ぼたん」
鹿肉を「もみじ」
と呼ぶ表現です。
馬肉の「さくら」も現在まで残っている呼び方として知られています。
こうした名称については、それぞれ複数の由来説があり、
「肉食を隠すためにすべて植物の名前で呼んだ」
と単純に断定するのは避けた方がよいでしょう。
しかし、現在でも猪肉を使った料理を「ぼたん鍋」と呼ぶように、獣肉に独特の名称を与える食文化は現代まで残っています。
鶏や卵はどうだった?
江戸時代には鶏も飼育されていました。
ただし、現代のように大量生産された鶏肉を安価に購入できる社会ではありません。
鶏は卵を得るためにも利用され、卵そのものも食材として使われました。
江戸時代には卵料理も発達しており、1785年には『万宝料理秘密箱』が出版されています。
この中には卵を使った料理が数多く紹介されており、後に「卵百珍」と呼ばれるようになった部分もあります。
豆腐だけで多数の料理を紹介した『豆腐百珍』と同じように、江戸時代の人々が身近な食材を工夫して楽しんでいたことが分かります。
牛や馬は食べるためだけの動物ではなかった
現在、日本で特に多く食べられている肉には牛肉、豚肉、鶏肉があります。
しかし江戸時代の牛や馬は、現代の肉用家畜とは異なる重要な役割を担っていました。
農作業を手伝ったり、荷物を運んだりするなど、人々の生活や生産活動を支える存在です。
そのため、現在のように「食肉を大量生産するために牛を育てる」という産業構造とは大きく異なります。
江戸時代の肉食を現代と比較するときには、宗教的な考え方だけでなく、家畜の役割や流通の違いまで考える必要があります。
魚介類が重要なたんぱく源になっていた
肉を日常的に大量消費しないからといって、動物性食品をまったく食べなかったわけではありません。
海に囲まれた日本では魚介類が重要な食材でした。
特に江戸は江戸湾に面していたため、さまざまな魚介類が町へ供給されました。
さらに、豆腐、納豆、味噌などの大豆食品も食べられています。
つまり、
「肉をあまり食べない=野菜だけを食べていた」というわけでもありません。
魚介類、大豆食品、卵などさまざまな食材を組み合わせて食生活を成り立たせていました。
明治時代になると肉食を取り巻く環境が大きく変化
日本の肉食文化が大きく変化するのは明治時代です。
明治政府は西洋の文化や制度を積極的に取り入れ、その中で肉食も広まっていきました。
1872年には明治天皇が牛肉を食べたことが広く伝えられ、肉食を肯定する社会的な流れを象徴する出来事となりました。
その後、牛鍋などが都市部で流行していきます。
しかし、ここで重要なのは、
「明治時代になって日本人が初めて肉を食べた」
わけではないということです。
江戸時代にも猪や鹿などの肉は食べられていました。
明治時代には肉を食べることへの社会的な抵抗が弱まり、近代的な畜産や流通の発展とともに肉食がより一般的になっていった、と考える方が実態に近いでしょう。
「江戸時代=肉を食べない」は半分正しく、半分誤解
江戸時代の庶民が現代人ほど肉を食べていなかったのは確かです。
毎日のように豚肉や牛肉を購入し、焼肉、ハンバーグ、豚カツなどを食べる現在とは食生活がまったく違います。
一方で、
「江戸時代には肉食が完全に禁止され、誰も肉を食べなかった」というイメージも実態とは異なります。
猪や鹿などの獣肉が食べられることがあり、薬食いという考え方もありました。
さらに江戸には獣肉を扱う「ももんじ屋」まで存在しています。
江戸時代の食文化には、表向きの価値観と実際の食生活が必ずしも単純には一致しない面もあったのです。
こうした例を知ると、「江戸時代の食事=白米・味噌汁・魚」という単純なイメージだけでは捉えきれない、当時の庶民の食生活が見えてきます。
江戸の町人と農村の庶民では食生活が違った
ここまで、そば、寿司、天ぷら、うなぎなど、江戸で発達したさまざまな食文化を紹介してきました。
しかし、
「江戸で流行した食文化=江戸時代の日本人全員の食生活」ではありません。
巨大都市だった江戸と、農業を中心に生活する農村では、手に入る食材や食事の内容にも大きな違いがありました。

江戸には全国から食料が集まっていた
江戸は多くの武士、商人、職人などが暮らす巨大な消費都市でした。
そのため、米、酒、醤油、塩、乾物などが各地から運び込まれ、江戸近郊からは野菜、江戸湾からは魚介類も供給されました。
こうした豊富な食材と大勢の消費者が存在したことが、そば、寿司、天ぷらなどの外食文化が発達する背景にもなりました。
また江戸では白米を食べる習慣が庶民にも広がりました。
ところが白米に偏った食生活によるビタミンB1不足から脚気になる人も現れ、江戸で多く見られたことから「江戸わずらい」とも呼ばれています。
農村では麦や雑穀も重要な食料だった
一方、農村では米を作っているからといって、誰もが毎日白米を十分に食べられたわけではありません。
米は年貢として納めたり、販売して現金を得たりするためにも必要でした。
そのため地域や経済状況によっては、米に麦や雑穀を混ぜたり、粟、稗、そば、芋などを利用したりしていました。
特に稲作に適していない地域では、その土地で育てやすい作物が重要な食料となります。
さつまいものように、米が不作になったときの食料として普及が進められた作物もありました。
住んでいる地域によって食べるものも違った
農村の食生活は、その土地の自然環境にも大きく左右されました。
畑で採れる野菜のほか、山間部では山菜やきのこ、川の近くでは川魚、海沿いでは魚介類などを利用できます。
反対に海から離れた地域では、新鮮な海魚を日常的に手に入れることは難しく、塩漬けや干物など保存された食品が重要でした。
現在のように全国どこでも同じ食品を購入できるわけではなかったため、
「その土地で、その季節に手に入るものを食べる」
ことが基本だったのです。
江戸では「食べ物を買う文化」が発達した
江戸と農村の大きな違いの一つが、食べ物を手に入れる方法です。
農村では自分たちが生産した作物を食生活に利用できました。
一方、自ら農作物を作らない人が大勢暮らす江戸では、魚、野菜、豆腐、納豆、漬物などを購入する必要があります。
さらに、そばや寿司などを屋台や店で食べることもできました。
つまり江戸では、食材だけでなく調理された料理までお金を出して買う食文化が発達していたのです。
「江戸のグルメ」は日本全体の食生活ではない
江戸時代の食文化として紹介される寿司、天ぷら、そば、うなぎなどは、現代の日本料理につながる重要な存在です。
しかし、それだけを見て、
「江戸時代の庶民はみんな白米を食べ、寿司や天ぷらを楽しんでいた」
と考えることはできません。
農村では麦や雑穀、その土地で採れる野菜などを中心に暮らす人もいました。
さらに海沿いか山間部か、経済的に余裕があるか、豊作か不作かによっても食生活は変化します。
江戸時代は約260年間続いているため、時代による変化もあります。
江戸時代の庶民の食生活は一つではなく、地域・時代・経済状況によって大きく異なっていた。
この点を押さえておくことが、当時の食文化を理解するうえで重要です。
江戸時代の庶民の食費はどのくらい?食べ物の値段
江戸時代の庶民がどのようなものを食べていたのかを知ると、
「そばや寿司はいくらくらいだったの?」
「庶民でも気軽に外食できたの?」
という疑問も出てきます。
江戸では屋台や飲食店が発達し、そばや寿司などを庶民が購入して食べることができました。
ただし、江戸時代の値段を現在の円へ換算するときには注意が必要です。

そば一杯は16文が代表的な値段として知られている
江戸時代のそばについてよく知られているのが「一杯16文」という値段です。
江戸後期には、そば一杯16文という価格が長く維持されたことで知られています。
そばは比較的手軽に食べられる外食だったため、江戸で働く人々にとって便利な食事でもありました。
現在でも立ち食いそばが「短時間で食べられる庶民的な外食」として定着していますが、江戸時代のそばにも似た役割があったと考えるとイメージしやすいでしょう。
にぎり寿司も庶民が屋台で買える食べ物だった
江戸時代後期のにぎり寿司は、現在の高級寿司のようなものだけではありません。
屋台で販売され、庶民が気軽に食べられる料理として広まりました。
値段は寿司の種類や時期などによって異なるため一律にはいえませんが、1貫数文程度で販売されるものもありました。
また、当時のにぎり寿司は現在より大きかったとされています。
そのため、現在の寿司一貫と値段だけを比較することもできません。
高級な食事を楽しむ店もあった
江戸の外食がすべて安価だったわけではありません。
庶民向けの屋台がある一方で、料理茶屋などでは、より手の込んだ料理を楽しむことができました。
つまり江戸にも、
手軽に空腹を満たす外食
と、
お金をかけて料理を楽しむ外食
の両方が存在していたのです。
現代でも立ち食いそば店から高級料亭まで幅広い飲食店がありますが、江戸時代にも客の目的や経済状況に応じた外食の選択肢がありました。
「1文=現代の○円」と単純には換算できない
江戸時代の値段を紹介するとき、
「1文は現在の○円」と換算されることがあります。
しかし、この数字には注意が必要です。
米の価格を基準にするのか、人の賃金を基準にするのか、そばなどの商品価格を基準にするのかによって、現代円への換算結果が変わるためです。
さらに江戸時代は約260年間続いており、その間にも物価は変動しています。
金・銀・銭という異なる貨幣が使われ、それらの交換比率も常に一定だったわけではありません。
そのため、この記事では「1文=○円」と一つの数字に固定して考えないことにします。
江戸時代の食べ物の価格を見るときには、
当時の庶民の収入に対して、その料理がどの程度手軽だったのかを見る方が実態を理解しやすいでしょう。
屋台の発達からも「食べ物を買う文化」が分かる
江戸の町でそば、寿司、天ぷらなどの屋台が商売として成立していたこと自体が重要です。
一部の富裕層しか購入できない料理であれば、庶民向けの屋台として広く発達することは難しくなります。
江戸には多くの消費者が暮らしており、その需要に応える形で安価で手軽な料理から、ぜいたくな料理までさまざまな外食が生まれました。
江戸時代の食費を現代円へ無理に置き換えるよりも、こうした外食の多様性を見ることで、当時の庶民と食べ物の関係が分かりやすくなります。
現代とはこんなに違う!江戸時代の庶民の食生活
江戸時代の食事には、白米、味噌汁、豆腐、納豆、そば、寿司など、現代の日本人にも馴染みのあるものが数多く登場します。
しかし、食材の手に入り方や保存方法まで見ると、現在とは大きく異なっていました。

冷蔵庫がないため保存方法が重要だった
最も大きな違いの一つが冷蔵・冷凍設備です。
江戸時代には現在のような家庭用冷蔵庫がないため、生鮮食品を長期間保存することはできません。
そこで、
・干す
・塩漬けにする
・酢で締める
・味噌や醤油に漬ける
・発酵させる
などの方法が利用されました。
寿司の魚を酢で締めたり醤油に漬けたりする調理法にも、こうした時代背景があります。
季節によって食べられるものが大きく変わった
現代では季節を問わず多くの野菜や魚を購入できますが、江戸時代は旬の食材を利用することが基本でした。
さらに輸送にも時間がかかるため、住んでいる地域によって手に入る食品も大きく異なります。
現在では「旬のものを食べる」ことが食事の楽しみの一つになっていますが、江戸時代には季節に合わせて食べることが生活そのものだったのです。
主食の割合が現在より大きかった
江戸時代の庶民の食事では、米や麦、雑穀などの主食が非常に重要でした。
現代では肉、魚、卵、乳製品などさまざまな食品を組み合わせますが、当時は主食から多くのエネルギーを得る食生活が一般的でした。
特に江戸では白米を多く食べる人もいましたが、副食とのバランスによってはビタミンB1が不足し、脚気につながることもありました。
「昔の食事だから必ず健康的だった」と単純に考えることはできません。
食品を無駄なく利用する工夫が多かった
保存設備が限られているからこそ、手に入った食品をできるだけ有効に使うことも重要でした。
野菜は漬物にする。
魚は干物や塩漬けにする。
大豆は豆腐、味噌、納豆などへ加工する。
余ったご飯も茶漬けや雑炊などに利用できます。
現代とは目的や生活環境が違いますが、一つの食材をさまざまな方法で利用する知恵が発達していました。
江戸には現代の「外食・テイクアウト」に近い文化もあった
生活環境は大きく違う一方で、現代とよく似ている部分もあります。
江戸の町では屋台や飲食店が発達し、そば、寿司、天ぷらなどを購入して食べることができました。
さらに豆腐、納豆、魚、野菜などを売り歩く商人もいました。
忙しいときに外で食事を済ませたり、食べ物を購入して持ち帰ったりする生活は、現代の外食やテイクアウトにも通じるものがあります。
江戸時代の食生活は現代より不便な部分が多かった一方、その環境に合わせた保存・加工・販売の仕組みが発達していたのです。
江戸時代から現代まで残っている食文化
江戸時代の食生活を見ていくと、現代の日本人が当たり前のように食べている料理や、現在の外食につながる文化が数多く見つかります。
特に江戸の町で発達した食文化の中には、形を変えながら現在まで受け継がれているものがあります。

そば・寿司・天ぷら・うなぎは今も定番
江戸で親しまれた代表的な料理が、そば、にぎり寿司、天ぷら、うなぎです。
もちろん、材料や調理方法、店の形態などは江戸時代から変化しています。
それでも、数百年前に江戸の人々が楽しんでいた料理を、現代の私たちも普通に食べていることになります。
特に江戸前寿司には、魚を酢で締める、醤油に漬ける、煮るなど、冷蔵設備がなかった時代に発達した調理技術が現在も受け継がれています。
豆腐・納豆・味噌なども変わらず身近な食品
江戸時代から続いているのは、外食だけではありません。
豆腐、納豆、味噌、醤油、漬物なども現在の食卓に残っています。
ご飯に味噌汁、納豆、漬物という朝食を考えると、使われている食品そのものは江戸時代の庶民にも馴染みのあるものです。
食生活全体は大きく変化していても、日本人が好む基本的な食品には長く受け継がれているものが多いのです。
「旬を楽しむ」文化も受け継がれている
江戸では初鰹をはじめ、季節の初物を楽しむ文化がありました。
現代でも、
「今年初めてのサンマ」
「新米が出た」
「新そばの季節になった」
といったように、旬の始まりを楽しむ感覚が残っています。
現在では一年中さまざまな食品を購入できますが、それでも旬の食材に特別な魅力を感じる文化は失われていません。
外食や食べ歩きにも江戸との共通点がある
江戸の町では屋台や飲食店が発達し、庶民がそばや寿司、天ぷらなどを気軽に購入していました。
現在の立ち食いそば、寿司店、テイクアウト、食べ歩きなどとまったく同じものではありませんが、
「料理を店で買い、その場ですぐ食べる」
という行動には共通する部分があります。
人口が集中する大都市で、忙しく働く人々の需要に応える形で手軽な外食が発達したという点も興味深いところです。
江戸時代の食文化は現代の和食につながっている
江戸時代には、現在の日本料理につながるさまざまな食文化が発達しました。
醤油や味噌を使った味付け、魚を保存しながらおいしく食べる技術、大豆をさまざまな食品へ加工する知恵、旬を楽しむ習慣、そして外食文化。
江戸時代の人々と現代の私たちでは生活環境が大きく異なります。
それでも普段食べている料理を詳しくたどっていくと、江戸時代の庶民の食生活につながっているものが意外なほど多く残っているのです。
まとめ|江戸時代の庶民の食事は質素な日常食と豊かな食文化が共存していた
江戸時代の庶民の食事は、ご飯や麦などの主食に、味噌汁、漬物、野菜、豆腐などを組み合わせた比較的シンプルなものが基本でした。
一方、巨大都市へ成長した江戸では外食文化が発達し、そば、にぎり寿司、天ぷら、うなぎなど、現在でも親しまれている料理が庶民の間に広がっていきます。
魚介類や野菜だけでなく、豆腐、納豆、味噌、醤油といった大豆加工食品も重要な存在でした。
冷蔵庫のない時代には、塩漬け、酢締め、乾燥、発酵などによって食材を保存する工夫も発達しています。現在の江戸前寿司などに残る調理技術にも、こうした時代背景を見ることができます。
また、「江戸時代の庶民」と一括りにできないことも重要です。
江戸の町では白米や魚介類、外食を利用する機会が増えた一方、農村では麦や雑穀、芋、その土地で採れる野菜なども重要な食料でした。
地域、時代、季節、経済状況によって食生活は大きく異なっていたのです。
そして意外なのが、江戸時代の食文化が現代にも数多く残っていることです。
そば、寿司、天ぷら、うなぎを食べる。
味噌汁や納豆、豆腐を食卓に並べる。
旬の魚や野菜を楽しむ。
店で手軽に食事を済ませる。
私たちにとって当たり前の食生活の中にも、江戸時代から続く文化を見つけることができます。
江戸時代の庶民は、限られた食材や保存方法の中で工夫しながら食事を作り、一方では屋台や料理店で新しい味を楽しんでいました。
「質素な普段の食事」と「発達した外食・グルメ文化」の両方が存在していたことこそ、江戸時代の食生活の面白さといえるでしょう。



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